( je traduirai en français un peu plus tard.. )
京都に帰って来て早二週間、今年は
めずらしく時差ぼけに悩まされることなく、
家族や友人との再会を満喫しています。もちろん汗だくのヨガの朝練習も!
ここで春夏秋冬練習に励んでいらっしゃる皆さんからすれば、
一年に一回約一カ月しかここに練習にこない私であるけれども(、
、5年くらいになるかな)、「ああ、フランスにいるんやんな!
帰ってきてるんや!」
って言って気さくに声をかけてくれたりして、
なんだか安心します。練習も楽しく、そして厳しい。そして、
尊敬する、愛する、親(心)
友である私の先生のクラスを何回かだけれど受けれるのも、
本当に幸せです。こうやって、変わらなく、
ぎこちなく居ることができるなあと感じると反面、
その真逆の感覚になる事物にも出くわします。特に、
ここ地元私の実家がある街は今年ガラッと変身しました。
家のすぐ近くにあるショッピングモール・スーパーは、
名称が何年かごとに変わってリニューアルして存続してきていたの
ですが、ついに今年に入って閉店し(
マンションだかになるそうですが)、その代わりと言うか、
ちょっと離れたところに超大型ショッピングモールができて、
これからはそこでお買い物してください、とのことらしい。
両親にとってはまあ不便になったわけですが、、。
本当に全てを兼ねそろえた超大型なので、そのために、
空き地を始め田畑は回収されました。
まあ今年に行われ始めたことではなく、
一年ぶりに帰国する度に目にする光景なのだけれど、
ショッキングだったのは、店内から出て来くると、
記憶のどこかに残っている道や立ち並ぶ家や田畑が全く消えていて
、そのせいで道を近くにいる人に聞かないと、
実家のある方向がわからなかったということ。
さらにもっと心が痛んだのは、今年2月に亡くなった祖母の畑、
そこで私が小さい頃取れたてのトマトやイチジクを食べたり、
水やりにお手伝いをしたりした思い出の畑が、
跡形もなくなっていること。。
祖母はもうそんなこと知る由もない……
その超大型ショッピングモール内は、
もちろんガンガンにクーラーが効いていて(個々が家庭でクーラーをつけるよりみんなで共同で涼みましょうというのはECOかもしれないが)、
煌々とライトが全てに照らされ、
商品棚に並べられている食料品は本日中にどれくらい買う人がいる
のだろうかとういうほどあって、いなくても保存料で大丈夫で、
同じものがパッケージやメーカーが違うだけでモール内の複数の店
舗で売られていて、それら全てが人々にとって普通で。なんて"
裕福"な"快適"な社会なのここは、、と。これが日本の"裕福"
と"快適"。モノに対する終わりのない追求、
モノの終わりなない取得。
「美味しいものが食べられてこそ幸せ」、「経済を活性化せなくては」、「便利で安全なのは老人や子どもを守るため」等、分かりますが、この人間以外の存在を無視したエネルギーの向け方では、"裕福"と"快適"がこれらの存在に許されることはないでしょう。満足のバランス、考えさせられますね。
写真 : 幼少の頃祖母に買ってもらった鹿さん、平安神宮の大鳥居、お寺さんのキキョウ
photos : mes petits cerfs de ma grand-mère, le grand Torii de Heian-jingū, des platycodons du temple,
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